橘右之吉 Official Blog

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ウィーンの歳の市

ウィーンはこの時期,クリスマスマーケットが街のあちこちの広場で開かれている。

なかでもウィーン市庁舎前の広場は,さながら浅草観音・歳の市の賑わいだ。
LEDの電飾とライトアップされた市庁舎が美しい。
羽子板ならぬクリスマスの飾り物を売る店,熱燗のワイン,焼き栗やホットドック,
お菓子にオモチャ等々沢山の店が並び,寒さのなか商売をしている。

日本のテキ屋さんのようだ。クリスマス用品を買い求める市民や観光客,
務め帰りに一杯の連中?などが詰め掛け,ごったがえしている。

街の辻には「ガサ小屋」のような露店が出来ていて,門松や注連飾りを売るように,
山から切り出してきた形の良い「モミの木」を並べ,
木の枝で作った「クリスマスリース」を売っている。

お客が気に入った「木」を決めると,ウィーンの親方はチェンソーと手斧を使って,
木の足元を器用に削り,十字に組んだ重し代わりの板の穴に据えて出来上がりである。
飾りの小道具は無い。原木のみだ。

見ていて,子供の頃に,ガサ小屋で門松や注連飾り売りを手伝っていた頃を思い出した。
竹はこの時期触ると本当に冷たくて,軍手を通して手がかじかんでいた。
半世紀前の下町の子供達は,アカギレや霜焼けで,指が太くなっていた。

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ウィーン大学

ウィーン大学で特別講義と実演、ワークショップを行った。

会場は階段状に学生が座るすり鉢状の講義室。
ローランド・ドメニク教授の紹介で講演をはじめる。

パソコンのパワーポイントを利用して図版を説明、
カタリーナさんに通訳していただき、実演,質疑応答まで
およそ2時間弱の長丁場を努める。

教授や講師の先生と昼食をとった後、午後はワークショップ。
日本人と違って「筆を立てず,寝かせて使う」ことに違和感が無いためか
それらしい文字が書けている。中根国連大使夫人も
ウィーン大学のワークショップでチャレンジしていただいた。
お連れの公邸料理人の方は,かなり良い文字を書いていた。

これには驚いた。

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オープニング

私の作品展「橘右之吉 因 維納(in Wien)」が始まった。

オープニングに沢山の皆様にいらしていただいた。
大使館の外交官の皆様はじめ,ウィーン大学のローランド・ドメニク教授,
ウィーン日本人学校の川村校長,芸術家,音楽家,息子の友人など50人あまりである。
中根国連大使夫人もおいでくださった。

優月さんという日本料理のお店にケータリングをお願いし,
寿司を主体のオープニングパーティーを皆様に楽しんでいただいた。

準備万端

在オーストリア日本大使館へ田中映男大使を訪問してご挨拶をすませ,準備に取りかかる。

今回の準備は長男による仕込み。
大使館のプランクさん、通訳のカタリーナさんにも大変お世話になる。

息子の友人であるフェルディナンドさんという芸術家にも大変お世話になった。
ご自宅は車で3時間という遠い距離をモノともせず、展示に使う額を全部お持ち頂き、
直前まで足りないものの買い出しに駆け回っていただいた。

有り難い限りで,額装までお手の物と,引き受けてくださった。準備万端は皆様のお力の賜物だ。
心細い旅先で受けた親切は,何物にも代え難い。ご恩返しをしなければならない。

いよいよ始まり,始まり。

ウィーンにて

ウィーンにて

ウィーンに来ている。

日本とオーストリアは、1869年に交流が始まってから140年という記念の年に当たる。
本年を「日本オーストリア交流年2009」として様々な文化交流事業を行われたそうだ。
この記念すべき交流年に、オーストリアの首都ウィーンにある
在オーストリア日本大使館の「日本広報文化センター」で私の作品展が開催される。
題して「橘右之吉 因 維納(in Wien)」である。

日本とオーストリアは、長い歴史に培われた固有の伝統・文化を維持しており、
また、豊かな自然や歴史的な街並みが残るなど、共通するものが多くある。

こんな節目の年に,デジタルとはほど遠い伝統的な仕事が継承され
140年前と同じ技法,書法で作られた木彫看板や木版画,染め物など
いまも日本でしっかり息づいていることを,作品展を通して日本の伝統文化、
独特な文字への理解を深め,手仕事の良さを沢山の皆様に感じていただければと思っている。

プロデューサーは私の長男、吉田真祐である。

松山二番町「露口」

「とっておきのバーがありますよ」と
半纏染めの老舗「高虎」の高林さんが誘ってくれた。

二番町の「露口」さんという,創業50年を数えるお店である。

松山に6年通っていて知らなかった。修業が足りない。
どっしりした木のドアーを開けると,重厚なカウンター、
懐かしいサントリーのCMソングが低く流れ,
柳原良平画伯のアンクルトリスが壁を彩る。

マスター,ママ,居並ぶお客さままでも私好みの素敵なバーだ。

「この間,俳優の角野卓造さんからママに電話が入っている時に,
たまたま居合わせたんですヨ」と,高林さん。
「そんなら電話を入れて驚かせちゃおう」と,私。

朝子ママに電話を入れて貰うと「なんで松山の露口に!」と
仰天する常連の角野さん。

前々日に三津五郎さんと角野さんの話しが出たばかりだったので,
縁の不思議さに驚いていると,
今度は入り口に近いカウンターの隅にいらした,
恰幅のいい白髪の紳士が,立ち上がって近づいてくる。

「愛媛朝日テレビの北村一明社長です」と,露口のご主人に紹介される。

ざこばさん・鶴瓶さんの「らくごのご」の名プロデューサーで,
妹弟子の右佐喜を世に出してくださった恩人で,
兄弟子の右一郎さんとも親しい,業界のビッグネームである。

もちろんお名前は存じ上げていたが,初対面。
まさか松山でお会い出来るとは思いもよらぬこと。

飲むほどに,酔う程に,濃い話が始まった。
松山「露口」の縁は凄い。ハイボールも飛び切り美味い。

羽田でひと悶着

いつもギリギリに駆け込む空港に,
この日は比較的早目に着いたので,荷物を預け
お茶を飲み,余裕をもって松山行きの搭乗ゲートに向かう。

搭乗券をゲートの機械にかざすと,「待った!」がかかった。
地上アテンダントが飛んで来て,
私が先刻預けたスーツケースの中に,不審なものがあるというのだ。

「開けさせていただいてよろしいですか」と,空港職員。
「いいですよ」と,私。
ガサゴソやって道具箱の中の,瓶やチューブに小分けにし,
さらにビニール袋に入れておいた「漆」を引っぱり出した。

「これはなんですか」「漆です」と私。
「内容表示が無い液体ですね」
「だから,小分けにした漆ですよ」
「かすかに揮発性と思われる臭いもします」と,
ビニール袋に鼻を突っ込んで,クンクンしている。

「あんまり顔を近づけないほうがいいよ。」と私。

結局,電話にかじりついて,あっちこっちに連絡が始まった。
マニュアル大事が佃煮にするほどココにはいるらしい。
定刻は過ぎても,全く要領を得ない。
えらそうな人も駆け寄ってきた。

「預かってもらって松山空港で受け取ることは出来ませんか」と私。
「成分不明の液体ですので乗せられません。破棄していただきたい」

「だから漆だって何度も言ってるでしょう。商売道具ですよ」
「ご自身で破棄してください」

おいおい,なんだ,そりゃあ。あんまりだ。

「破棄しないと,松山行きの便に乗れないということですね」

泣く泣く破棄して大幅に遅れて機内に。
先に乗っていた乗客の「白い目」にさらされる。

「冗談じゃねぇ。私のせいじゃねぇ」

少量の液体は大丈夫と聞いていたが。。。

松山空港に着いたら,空港で呼び出された。
馬鹿丁寧で慇懃無礼な言い訳の手紙が届いていた。

山帰り奉納本番(3)

「山帰り」と謳うからには「お参り」をしようと、
17日には開演前に「下社」を目指す。

大和屋の揃いの浴衣で,納め太刀を担ぎ,一同で参拝に繰り出す。

クロックスに足元を履き替えての道中である。

林家はな平さん,たけ平さんも同行だ。

私も当初は威勢がいいが,
日頃の運動不足がたたり,ケーブル駅に着いた頃には,
膝はガクガクで,息も上がり,汗が吹き出していた。

体力の衰えを実感してしまった。

下社で用意の木太刀を奉納し,正式参拝を済ませる。

「昨日拝見しました」、「後で見に行きますよ」と
声をかけてくださるお客さまも多く,
来てよかったとしみじみ思う。

帰途,大山寺に参拝,ご住職が護摩をあげて下さる。

この護摩がなんとも大迫力で,早間の太鼓のリズムに驚いた。

たけ平さん、はな平さんらは落語「愛宕山」に登場する
「かわらけ投げ」に,ここで挑戦したとのこと。
こういう体験が後で芸に生きてくるのかなと思う。

急ぎ能楽殿に戻って準備に掛かり,
17日の奉納公演も大盛況のうちに幕となった。

ご尽力いただいた皆様に心から感謝申し上げたい。

「山帰り」を終えたら12日間の四国暮らし。

即日、松山にひとっ飛びである。

山帰り奉納本番(2)

「山帰り奉納」の2日間は三津五郎さん一家も家族総出である。

長男の巳之助くんは揚げ幕や舞台転換、
長女の守田奈央さんは影アナ担当、
次女の幸奈さんはフィナーレに使う撒き手拭いの用意と大忙しであった。

終演後,高円宮妃殿下とご一緒する晩餐会があり、
三津五郎丈らと出席。至福の時間が流れる。

終わってから,宿舎の「山荘なぎさ」へ。

奇しくもこの日は巳之助くん20才の誕生日だったので、
「田酒」で,遅い時間に泊まりの皆で乾杯。

みんな,すぐには寝そうもない。
心地よい酔いが全身を包んだ。

山帰り奉納本番(1)

9月のスケジュールは超過密だった。
恒例になっている,勘三郎さんの
名古屋「平成中村座」五軒長屋への出展が月の前半。

途中で戻って三津五郎さんの「山帰り奉納」である。
昨夜来の雨も上がった16日,車で相州大山へ向かう。

海老名サービスエリアで一休みしていると,
坂東三津衛門さんや木遣りをお願いしている頭の皆さんと遭遇。
みんなリハーサルの時間を気にして,早めに動いているようだ。

会場で準備に取り掛かると,出演者,関係者も続々到着。
開演前に下社参拝に向かうお客さまも来はじめている。

正藏師のご母堂,根岸のおかみさん,
海老名香葉子さんも会場にみえたので先ずご挨拶。

楽屋にも沢山の方が顔を出す。
なんやかやと気も急くうちに本番直前,会場はすでに満員だ。

高円宮妃殿下をお迎えして開演である。

林家たけ平さんの開口一番,

目黒宮司 三津五郎丈 林家正藏師 そして私との座談会

江戸消防記念会第五区六番組頭中の木遣り

林家正藏師匠の落語「大山詣り」の奉納

そして三津五郎丈念願の歌舞伎舞踊「山帰り」の奉納

手拭い撒きと手締めでお開きとなる番組

暮れなずむ能楽殿は神秘的で,何とも言えない趣きだった。

山帰り奉納

明日から山帰りが始まる。
この歴史的なイベントに関して、
まずはオフィシャルサイト
スポンサーでもあるニフティーさんのブログを見てもらいたい。

当日の様子などはまた後日。

雨雲をも吹き飛ばした『山帰り奉納』成功祈願の「お練り」

雨降山の雨雲が消えると、
坂東三津五郎「山帰り」奉納成功祈願の
大山阿夫利神社下社を目指して「お練り」が始まりました。

先程来の空模様が嘘の様な青空に、
お日様もお練り見物か顔を出し、
「晴れ男」面目躍如のお練り道中が、
地元阿夫利睦の皆さんの金棒が刻む、独特のリズムで進みます。

雨上がりの新緑を背景に
「坂東三津五郎さん江」「林家正蔵師江」と幟が上がり、
手拭い招きが行く手の参道に掲げられています。

参道のあちこちで「大和屋!」「十代目!」の掛け声がかかり、
両側のお店に顔見せのご挨拶のたび、飛び切りの笑顔が溢れます。

広重の「名所江戸百景」にある、色違いの手拭い招きが翻る、
浮世絵のような風景が眼前に広がり、大山が一瞬江戸に染められました。



大山阿夫利神社の目黒宮司様はじめ、
地元阿夫利睦の皆さんが今日のお練りのために、
昨日来の雨のなか、準備してくださったと伺い、
ご苦労に感激、心より感謝いたしました。

大山の方々をはじめ、
幟や手拭い招きを協賛していただいた皆様、
お練りに間に合うように染め、仕立ててくださった職人さん達、
お忙しいなかお練りにご参加いただいて
景気をつけていただいた皆様、大勢のお力添えがなければ、
「お練り」は実現出来なかったと思います。


本当に、ありがとうございました。


帰りには下社から伊勢原の町がくっきりと望め、
心が洗われるようで、ご神徳を体感しました。

雨雲をも吹き飛ばすこのパワーを9月の当日に、
そのまま持って行きたいと感じた1日でした。

(山帰り奉納公式ブログより)

大山の番頭さん

落語「大山詣り」や、清元の「山帰り」で有名な、相州大山。

夏になると毎年同じ日に、うちの講中の大山詣りがあった。
祖父が講元、父も世話人の一人になっていて「東京御宝講」という。
「戦時中もお参りにいっていたんだ」と、
祖父が話していたのを覚えている。

大山でお世話になる先導師の内海さんを、
家では「御師(おし)」と呼んでいた。
御師は私を大変可愛がってくださって、私も御師が大好きだった。

東京以外に寄る辺の無い我が家にとって、
大山の内海さんのところがいわば帰省先、
私の「故郷」である。

私の中学、高校時代、
夏休みの大半は「大山」に宿題持参で、
お手伝いに行くのが「お決まり」だった。

薪でお風呂を沸かしたり、布団の上げ下げ、
拝殿や社務所までのお使い、お膳運び、履物の整理,
行衣の片付け等々、いろんな仕事があり、
ちょっとした番頭さん気分だった。

そんな思い出多い大山の地。

今年9月16、17日の2日間、
大山阿夫利神社社務所能楽殿で、
友人の坂東三津五郎丈が、歌舞伎舞踊「山帰り」を奉納する。

坂東流の家の踊りともいえる「山帰り」を、
大山阿夫利神社に奉納するのは、
十代目襲名時から心願としをていた企画。

これまた五季の会の仲間でもある林家正藏師匠も
落語「大山詣り」を奉納口演で参加する。

私も「番頭」として、裏方でお手伝いだ。
時間があったら是非大山に来ていただきたい。

6月6日には、奉納成功祈願の「お練り」が、催行される予定だ。

詳細が決まったら、また書き込みたい。

現在、日本橋三越「味と技の大江戸展」に出展中。

見慣れない番号が携帯に着信した。
出ると「右之さん、哲明です」

中村勘三郎さんからだ。

勘三郎さんは今月は芝居がお休み。
海外からの国際電話である。
「いま何処」と私。
「ヨルダンにいるんだけど、大変なんだよ」
話を続ける中村屋は、かなりのハイテンションである。
わざわざの国際電話、大事件発生と思いきや。

勘「ヨルダンの国王が、そっくりなんだよ」
右「誰に」
勘「なぎらさんにさ、驚いちゃった。」

ヨルダン国王となぎら健壱が同じ顔をしていると興奮している。

右「そんなに似てるの」
勘「同じ顔してる。なぎらさんに教えてやって」
右「国王の写真を撮って来て欲しい」
勘「もちろん。ヨルダンのお札にも国王の顔がのっている」
右「そのお札が欲しいな」
勘「持って帰るよ。修ちゃん(文扇堂)にも
  教えてやろうと思って電話したんだけど、出ないんだよ」

興奮を堪えきれず、この発見を教えたくなって、
思いの丈の国際電話となったようだ。

帰ってくるのが楽しみだ。
早速なぎらさんに教えてやろう。

伊達の都、仙台へ

2月の半ば、「杜の都」に久しぶりに伺う。

2月16日(月)から23日(月)まで、
仙台三越「全国職人技展」に出展することになった。

お近くの方は、本館7階ホールを覗いて頂きたい。

仙台には、もう20年以上前になるが、
「青葉まつり」の折りに伺ったことがある。

亡くなった古今亭志ん朝師匠はじめ、
先代の雷門助六師匠ら、住吉踊りご連中と一緒のお仕事。
数日間にわたり、仕事が終わると飲みかつ食べ、
極上の楽屋話を楽しませていただいた。
思い出深い場所である。

皆が若く、志ん朝師匠も勿論お元気だった。
なんとか時間を作って、
おぼろげな記憶を頼りに、仙台の街を歩いてみようと思う。

看板犬「タク」の死

2009年2月5日午前4時50分
うちの看板犬「タク」が16才で死んだ。

飼い主に似ず、穏やかな性格で、
無駄吠えを一切しなかった。
近隣の皆様にも可愛がられ、
散歩の時も「タクちゃん」と声を掛けられると立ち止まり、
「可愛い!」という声に「自分のこと?」と、反応していた。

事務所にいらしたお客様を静かに迎え、
打ち合わせの時も脇にいて、静かに聞き耳を立てている。

唯一例外は、兄弟分の「なぎら健壱」。
彼が遊びにくるたび、驚いたことに彼の足を抱えて腰を使い発情していた。
タクは、なぎら健壱に雌犬を感じたのかもしれない。

私が仕事をしていると脇に座り、
書いたものを床に置いても、
踏まないよう器用に避けて事務所のなかを動き回っていた。

昨年10月に体調を崩し、お腹が妙に張っているので、
かかりつけの獣医さんに連れて行くと、
川崎にある最先端医療の「日本動物高度医療センター」を紹介される。

早速伺って診察治療をうけるが、
MRI画像を撮ると腎臓の片方が癌化し、
信じられないくらい巨大化しているのが判る。

癌化した腫瘍が他の臓器をかなり圧迫していて、
「歩き回っているのが信じられないです」と言われてしまう。
そして「年齢的にも手術は無理です」とのこと。

「どのくらい生きられますか」の私の問いには、

「判りません。1週間後かもしれないし、1月後かもしれない。
 いまは腫瘍がうまく動脈や静脈をさけていますが、今後はなんとも云えません。
 穏やかに最後を迎えさせてやっては」といわれ、しょうことなしに連れ帰る。

以来、寝袋を事務所に持ち込んで寝泊まり。
年末年始は酒席も多く、内心ドキドキで事務所に帰っていた。
あれから3ヶ月、一昨日まで距離は短いが散歩もしていて、
よく頑張ったが……。タクの体が、だんだん冷たくなってゆく。

合掌

可愛がっていただいた皆様に心から御礼申し上げる。

綱渡りの日々

遅ればせながら「明けましておめでとうございます」

耐久レースのような1月。
ブログもままならず、汗顔の至り。
元日は、恒例の勘三郎丈宅と三津五郎丈宅にお年賀に出掛けて、
お決まりの酒宴。のんびりとしたお正月気分は、
この日だけ「一日限定」である。

翌2日から12日まで日本橋三越に実演出展、
連日夜8時まで缶詰状態が続き、疲れもストレスも半端じゃない。

こんな最中でも、遅れても勘弁してくれそうな新年会やパーティには、
出来るだけ出席している。

紫綬褒章を貰った勘三郎さんを驚かせようと、
内緒で仲間が仕組んだ「サプライズパーティ」をはじめ、度々出掛けた。

「草臥れているのに、能天気」、「とっとと帰ったら」と、
云われそうだが、仕事を離れたところで世間話、馬鹿話に興じるのが、
私流のストレス解消法でもある。

休みをとらずに、13日からは昨年来頼まれている新店舗用の書き物に着手。

今月末には、浅草オレンジ通りの「行列の出来る店」で有名な、
人気店「まぐろ人」の地階に、鍋料理専門店のオープンが決まっているから
本当に時間が無く、書きながらもハラハラのし通しである。

浅草オレンジ通りでは「もり銀」さん、「外源堂」さんに続いて、
3店目の「鍋・まぐろ人『なべや』」という、
私の文字を看板にしたお店が生まれる。
開店を控えメニューの「試食」もさせていただいた。
仕事冥利に尽き、嬉しいオマケである。

止むなく年を越してしまった仕事を順にこなしながら、
この間にも打ち合わせ、そして会合やら新年会やらが、
昼夜を問わずにドッとあって、空けておいた時間が埋まってゆく。
風邪でもひいたら大変だ。
ここ数年は体力と気力で乗り切る「睦月」となっている。

古い熊手はどうしたら?

ここ40年ほど前から、
前の年に買った熊手を、重たい思いをして、
わざわざ浅草の鷲神社まで持ってくる、不思議な連中が増えた。

子供のころは、こんな光景はなかった。
熊手は本来暮れに入れ替えるもの。
暮れまで残った余福、まだある余慶をあっさり捨てるとは、
なんともわからないし、もったいない。

酉の市を詠んだ、江戸の俳人宝井其角の句に
「春を待つ 事の始めや 酉の市」と、ある。

春を迎える祭礼神事で、暮れに飾る鏡餅と同じように、
大掃除を済ませてから新しい熊手を、商売繁昌を祈り、
東か南に熊手の表面を向けて飾る。これが本寸法である。

それまで新しい熊手は、風呂敷でも掛けてしまっておく。

「古熊手はどうするの」と、時々聞かれるが、
伝統的な木と竹と紙の、自然素材の熊手なら、
バラバラにして古い注連縄やお札と一緒に、
近くの氏神様で暮れに焼いてもらう。

一年間乾燥させているから簡単に燃える。

手間かけて浅草に持ってくることは無い。

ただ、発泡スチロールを使ったり、
プラスチック素材の混じる熊手は、
すっぱりあきらめて、暮れにゴミとして出すより仕方ない。

お炊き上げに持って行っても、プラスチックの達磨同様断られるし、
無理に火に入れようものなら、有毒な煙が出て危険だし怒られる。

神社によっては、「熊手お断り」と納め所に書いてあるのは、このためだ。

他の土地の酉の市に行ったことは無いが、
浅草同様に古熊手の山があるのだろうか。どうなんだろう。

もし、あっちでも、こっちでも断られた古熊手を
持って行き場が無くて、浅草に担ぎこんでいるのだったら、こりゃ大変だ。

飾り方、始末の仕方を、きちんとお客に教えるのも熊手屋の仕事である。

荒神山の勝っあん

浅草酉の市に手伝いに行き、思い出したことがある。

物心がつく前から、私は熊手と一緒に売り台の上に載せられていた。
半世紀以上前の話だ。
その頃うちに出入りしていた若い衆(わかいし)の話である。

若い衆と、いってもかなり高年齢の爺さんたちだが、
鳶の家ではいくつになっても「わかいし」と呼ぶ。

うちではそんな人たちのことを
「源氏梅の源さん」「小源氏の松っあん」
「荒神山の勝っあん」などと呼んでいた。
その昔流行った素人相撲の四股名が、そのまま名乗りになったという。


「源さん」は酒が好きで、飲み過ぎては酉の市の店で、よく居眠りをしていた。
お客様から「この熊手はいくらだい」と聞かれると、
「2円だけど1円50銭に負けとくよ」と、
お客も驚く時代錯誤の値段を言い出し、
親父も「こりゃダメだ。早く家に帰してやんな」と呆れていた。

釣りが名人級の源さんは、親父が病気と聞くと「頭に鯉を食べさせて」と、
たびたび生きた大きな鯉を持って見舞いに来てくれた。
顔は般若みたいだったが根はやさしい爺さんだ。


「松っあん」は頭にタオルで鉢巻きをした上に、
大きな竹籠に沢山の熊手を入れたものを乗せて両手で支え、
つっかけ草履で鷲神社の境内を、まだまだ元気に動き回っていた。
半纏を着た爺さんの大原女である。


「荒神山の勝っあん」はすごい。
大学出の息子さんは官僚で、運転手付きの黒塗りの車で家に来て、
「湯河原に親父の隠居所を作りました。これから楽をしてもらいます。」と、
挨拶をして際物商売が好きな勝っあんを連れて行った……。
「立派な息子を持って、勝っあんは幸せだ」と、
祖父や親父が話していたのも束の間で、

ひと月もすると「頭、モトをすこし貸してください」と、
風呂敷包みに半纏を入れた勝っあんが現れる。
お金を借りて「青梅」や「金魚」などシーズニングの商材を選び、
一日振り売りの商いをしてくる。

勝っあんは上野、下谷、根岸あたりの旅館などが旦那場で、
そこに持って行って売りきってくる商売上手。

借りたお金を返すと、気が大きくなり大好きな「お酒」である。
挙げ句は酔っぱらって年甲斐の無い「荒神山」の名の通りの喧嘩沙汰。
物堅い息子さんが青くなって、「親父がお邪魔していませんか」と、
居なくなるたびに何度も迎えに来ていた。


個性的で素敵な爺さんたちのインパクトは強烈だ。
あんな年寄りになってもいいな。

振り出しは、お江戸日本橋

年末の12月30日(火)から新年1月12日(月)まで
日本橋三越本店で、『日本の職人「匠の技」展』に例年通り出展する。

お正月休みは返上だ。

ここ数年、初仕事は日本橋が振り出し。
江戸っ子にとっては縁起がいい。

お蔭さまでお馴染みも増え、いらっしゃるお客様のお顔も覚え、
楽しみな催事のひとつとなっている。

老舗ならではのお客様が多く、毎年初売りは心浮き立つ賑わいをみせる。

正月の吉例を知って、友人が家族で買い物がてら顔を出してくれる。
これも正月休みの催事ならではの楽しみだ。

ポスターの写真撮りが近々あるが、ご担当の話が奮っている。

「前回撮った写真を使おうと思いましたが、やはり深みを増したムニャムニャ」との言。
おいおい、そりゃ爺ィになったってことかなとは思いながらも、承諾。

ポスターに顔が載るのは、訳もなく恥ずかしいもので、
前回も、大きく引き伸ばされた自分の顔の前を通るのは、
面映く、遠回りして地下鉄の電飾看板の前を通らないようにしていた。

役者さんや俳優さんは特に気にしている様子も無いが、どうなんだろう。
今度聞いてみようと思う。

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