赤坂大歌舞伎と五軒長屋
9月3日から20日まで
赤坂サカスの赤坂ACTシアターで
赤坂大歌舞伎が開催される。
「狐狸狐狸ばなし」と「棒しばり」が演目で
中村勘三郎さんを筆頭に、扇雀さん、勘太郎くん、
七之助くん、亀蔵さん、弥十郎さんら、
お馴染みの皆さんが出演する。
平成中村座恒例の五軒長屋も、特別に軒を連ねるが、
会期も長いので相談して交互の出店となった。
私は9月11日から20日千秋楽までが出展期間。
他の店子の皆さんは下記の通り
荒井 修さん (文扇堂) 12日〜20日
川上千尋さん(ふじ屋手拭) 12日〜20日
横谷宗舟さん(木彫) 3日〜14日
木下栄司さん(陶芸) 3日〜20日
殿村栄一さん(絵描き) 3日〜10日
中井まりさん(日本刺繍) 3日〜11日
西山和宏さん(江戸羽子板) 15日〜20日
益田大祐さん(江戸指物) 3日〜11日
赤坂にお越しの節には是非お立ち寄り、ご覧願いたい。
「見るは法楽、見らるるは因果」は、見せ物の口上だ。
赤坂サカスの赤坂ACTシアターで
赤坂大歌舞伎が開催される。
「狐狸狐狸ばなし」と「棒しばり」が演目で
中村勘三郎さんを筆頭に、扇雀さん、勘太郎くん、
七之助くん、亀蔵さん、弥十郎さんら、
お馴染みの皆さんが出演する。
平成中村座恒例の五軒長屋も、特別に軒を連ねるが、
会期も長いので相談して交互の出店となった。
私は9月11日から20日千秋楽までが出展期間。
他の店子の皆さんは下記の通り
荒井 修さん (文扇堂) 12日〜20日
川上千尋さん(ふじ屋手拭) 12日〜20日
横谷宗舟さん(木彫) 3日〜14日
木下栄司さん(陶芸) 3日〜20日
殿村栄一さん(絵描き) 3日〜10日
中井まりさん(日本刺繍) 3日〜11日
西山和宏さん(江戸羽子板) 15日〜20日
益田大祐さん(江戸指物) 3日〜11日
赤坂にお越しの節には是非お立ち寄り、ご覧願いたい。
「見るは法楽、見らるるは因果」は、見せ物の口上だ。
赤塚不二夫先生、合掌
兄弟分の、なぎら健壱さんから
「赤塚先生が亡くなった」と、
携帯に電話があったのが第一報だった。
友人の漫画家、高井研一郎先生の紹介で
ご縁をいただいたのが赤塚先生との始まりだった。
中野宝仙寺のお通夜に向かう道すがら、
焼香を終えた立川談志師匠と遭遇して立ち話に。
「残酷だよ」と家元。
「師匠も体に気をつけてくださいよ。」と云うと
ポンと腕を軽く叩かれた。
先生の遺影を前にしたら、いろいろ思い出して来た。
飲んだあげく、大勢して下落合のお宅に伺ったこともあった。
赤塚先生の紫綬褒章受章パーティの折り、
ちばてつや先生、高井研一郎先生、私の三人連名で、
記念の招喜看板を作り、お贈りしようと、
上にニャロメを招き猫に見立てて代紋に替え、
下に「赤塚不二夫」の江戸文字を配したものを作った。
パーティ前に赤塚先生の控え室に入ると、
先生は羽織袴姿で、喜んで受け取ってくださった。
パーティ会場では、美人看護士大勢に囲まれた
極上の笑顔もあった。
ちょっと、はにかんだあの笑顔ももう見られない。
ギャグ漫画界の、希代の巨匠が逝ってしまった。
赤塚不二夫先生、合掌。
「赤塚先生が亡くなった」と、
携帯に電話があったのが第一報だった。
友人の漫画家、高井研一郎先生の紹介で
ご縁をいただいたのが赤塚先生との始まりだった。
中野宝仙寺のお通夜に向かう道すがら、
焼香を終えた立川談志師匠と遭遇して立ち話に。
「残酷だよ」と家元。
「師匠も体に気をつけてくださいよ。」と云うと
ポンと腕を軽く叩かれた。
先生の遺影を前にしたら、いろいろ思い出して来た。
飲んだあげく、大勢して下落合のお宅に伺ったこともあった。
赤塚先生の紫綬褒章受章パーティの折り、
ちばてつや先生、高井研一郎先生、私の三人連名で、
記念の招喜看板を作り、お贈りしようと、
上にニャロメを招き猫に見立てて代紋に替え、
下に「赤塚不二夫」の江戸文字を配したものを作った。
パーティ前に赤塚先生の控え室に入ると、
先生は羽織袴姿で、喜んで受け取ってくださった。
パーティ会場では、美人看護士大勢に囲まれた
極上の笑顔もあった。
ちょっと、はにかんだあの笑顔ももう見られない。
ギャグ漫画界の、希代の巨匠が逝ってしまった。
赤塚不二夫先生、合掌。
4 年目の IMAGINE 9.11
骨髄バンクのボランティアで
積極的に活動する友人の歌手、
刀根麻理子さんがプロデュースする、
舞台「IMAGINE 9.11」が4年目を迎える。
2001年の同時多発テロ直後に実際にあった、
アメリカから日本への骨髄輸送のドキュメントを基にした
これまた友人のH.T.ISSUIさんのフィクションである。
友人を急性骨髄性白血病で亡くした直後で、
骨髄バンクに興味を持っていたこともあり、
初年度のこの芝居に、私は「役者」になるという
貴重な経験させていただいた。
飛行禁止、空港閉鎖という戒厳令下、全米骨髄バンクは、
「テロの犠牲者をこれ以上出してはならない」と
日本への輸送を決断する。
その全米骨髄バンク事務局長の役をいただいた。
長い台詞はプロに振り、「ひこうき」「ひこうきんし」など、
言いにくい台詞は変えてもらうという、
脚本のH.T.ISSUIさんはじめ、役者さんたちに迷惑掛け放題、
我が儘放題の、とんでもない俄役者であった。
私の初舞台を面白がって
坂東三津五郎さんはじめ、
多くの友達が「役者振り」を見に来てくれた。
客席はビッグネームが居並び、壮観だった。
役者を3日やったら止められないというが、
さて、どうなんだろう。
今年は9月26日から10月2日まで、
両国のシアターカイで公演がある。
初年度からの刀根麻理子さん、Ju,taさん、
一昨年からのキャストの
加納竜さん、藤田三保子さん、小野正利さんら芸達者が揃い、
加えて「エアーあやや」で売り出した、
はるな愛さんも出演するという。
私は舞台には上がらない。客席で見る方に回る。
劇場ロビーで、患者さんとのコラボ展がある。
私は「VOICE OF LIFE 〜命のメッセージ展〜」に
作品を提供するので、
開演前にでも是非ご覧いただきたい。
詳細は以下の通りだ.
舞 台 IMAGINE 9.11
展示会 VOICE OF LIFE
積極的に活動する友人の歌手、
刀根麻理子さんがプロデュースする、
舞台「IMAGINE 9.11」が4年目を迎える。
2001年の同時多発テロ直後に実際にあった、
アメリカから日本への骨髄輸送のドキュメントを基にした
これまた友人のH.T.ISSUIさんのフィクションである。
友人を急性骨髄性白血病で亡くした直後で、
骨髄バンクに興味を持っていたこともあり、
初年度のこの芝居に、私は「役者」になるという
貴重な経験させていただいた。
飛行禁止、空港閉鎖という戒厳令下、全米骨髄バンクは、
「テロの犠牲者をこれ以上出してはならない」と
日本への輸送を決断する。
その全米骨髄バンク事務局長の役をいただいた。
長い台詞はプロに振り、「ひこうき」「ひこうきんし」など、
言いにくい台詞は変えてもらうという、
脚本のH.T.ISSUIさんはじめ、役者さんたちに迷惑掛け放題、
我が儘放題の、とんでもない俄役者であった。
私の初舞台を面白がって
坂東三津五郎さんはじめ、
多くの友達が「役者振り」を見に来てくれた。
客席はビッグネームが居並び、壮観だった。
役者を3日やったら止められないというが、
さて、どうなんだろう。
今年は9月26日から10月2日まで、
両国のシアターカイで公演がある。
初年度からの刀根麻理子さん、Ju,taさん、
一昨年からのキャストの
加納竜さん、藤田三保子さん、小野正利さんら芸達者が揃い、
加えて「エアーあやや」で売り出した、
はるな愛さんも出演するという。
私は舞台には上がらない。客席で見る方に回る。
劇場ロビーで、患者さんとのコラボ展がある。
私は「VOICE OF LIFE 〜命のメッセージ展〜」に
作品を提供するので、
開演前にでも是非ご覧いただきたい。
詳細は以下の通りだ.
舞 台 IMAGINE 9.11
展示会 VOICE OF LIFE
名入りのマイつなぎ箸
名入りつなぎ箸に取り組んで3、4年になる。
つなぎ箸も気に入ったものが手に入らず、
あ〜だ、こ〜だ言って作ってもらったりして
試行錯誤の繰り返しだった。
つなぎの調子が悪かったり、
うまく文字が入れられなかったりで、
製品は出来ても、商品になるまでどうしても時間がかかる。
納得するのも、させるのも難しい。
「これでいこう」と、なるまでが大変だ。
躊躇していると、
結局、だれかが背中を押してくれる。
「名入れ箸が出来るでしょ」
「早く、あれを作って」と、
急かされ、仕事に取りかかる。
箸の頭に目印の一文字、箸箱に名前、箸袋の玉に頭文字を
漆を使って、江戸文字で入れる。
「とっておき」になればいいなと思っている。
出来上がりの「名入りつなぎ箸」は、こんな感じになる。
ご覧いただきたい。




つなぎ箸も気に入ったものが手に入らず、
あ〜だ、こ〜だ言って作ってもらったりして
試行錯誤の繰り返しだった。
つなぎの調子が悪かったり、
うまく文字が入れられなかったりで、
製品は出来ても、商品になるまでどうしても時間がかかる。
納得するのも、させるのも難しい。
「これでいこう」と、なるまでが大変だ。
躊躇していると、
結局、だれかが背中を押してくれる。
「名入れ箸が出来るでしょ」
「早く、あれを作って」と、
急かされ、仕事に取りかかる。
箸の頭に目印の一文字、箸箱に名前、箸袋の玉に頭文字を
漆を使って、江戸文字で入れる。
「とっておき」になればいいなと思っている。
出来上がりの「名入りつなぎ箸」は、こんな感じになる。
ご覧いただきたい。




メガバブルショー
バブル・アーティスト、
ファン・ヤンのメガバブルショーが、
今秋10月に新宿コマ劇場で開催される。
バブルはいわゆる「シャボン玉」で
これをどうショーアップするのか
興味のあるところだ。
このプレミアショーが
青山の草月ホールであるので、女房とお邪魔する。
開演を待つ客席には顔見知りも多く、
あちこちにまずご挨拶に歩く。
「ちょうどよかった。頼みたいものがある」と、
ついでに仕事も頼まれる。
製作総指揮でもあるテレビランドの
澤田隆治さんが舞台挨拶をして、
ファン・ヤンのメガバブルショーが始まった。
16のギネス世界記録を保持し、
ニューヨークやラスベガスの人々を
驚かせたバブルアートは、やはり凄い芸だ。
人が包み込まれる巨大なシャボン玉から、
微細なものまで自在にあやつり、
幾重にも光が反射するバブルの美しさには息を呑む。
新鮮な驚きだった。
終わってから、
プレミアショーに来ていた
漫画「総務部総務課・山口六平太」の
高井研一郎先生、
マジック・ナポレオンズのボナ植木さんら、
仲間と連れ立って赤坂へ向かう。
一ツ木通りを物色していると、
看板に「地魚遊び・左近」と、
見慣れた文字がある。
「こりゃ入らなくちゃ」と、乱入する。
店内にはなんと、
これまた親しい大漫画家、
ちばてつや先生の直筆イラストが飾られている。
昔から兄弟子の知り合いのNさんが開いた店なのだ。
「右之さん、誰に聞いて来たの?」と、驚くご主人。
「誰にも聞いてない。全くの偶然」
「行き当たりばったり看板を見付けて入ったんだ。
任せるから、なんか旨いものを早く出して」という
私たちの矢の催促に、
「予約してから来てくれよ」と、無理を言う。
店さえ知らなかったんだから、
電話番号なんか知ってる訳がない。
文句を云いながらも、仕事は別だ。
小さいうちは真鯛と区別されずに、
「かすご」と呼ばれ、
夏は真鯛より美味いといわれる、
珍らかな「えびす鯛」をはじめ、
とっておきの酒肴を次々出してくれる。
友達も「美味い」と、満足である。
偶然とはいいながら、
メガダブルの驚きの夜であった。
ファン・ヤンのメガバブルショーが、
今秋10月に新宿コマ劇場で開催される。
バブルはいわゆる「シャボン玉」で
これをどうショーアップするのか
興味のあるところだ。
このプレミアショーが
青山の草月ホールであるので、女房とお邪魔する。
開演を待つ客席には顔見知りも多く、
あちこちにまずご挨拶に歩く。
「ちょうどよかった。頼みたいものがある」と、
ついでに仕事も頼まれる。
製作総指揮でもあるテレビランドの
澤田隆治さんが舞台挨拶をして、
ファン・ヤンのメガバブルショーが始まった。
16のギネス世界記録を保持し、
ニューヨークやラスベガスの人々を
驚かせたバブルアートは、やはり凄い芸だ。
人が包み込まれる巨大なシャボン玉から、
微細なものまで自在にあやつり、
幾重にも光が反射するバブルの美しさには息を呑む。
新鮮な驚きだった。
終わってから、
プレミアショーに来ていた
漫画「総務部総務課・山口六平太」の
高井研一郎先生、
マジック・ナポレオンズのボナ植木さんら、
仲間と連れ立って赤坂へ向かう。
一ツ木通りを物色していると、
看板に「地魚遊び・左近」と、
見慣れた文字がある。
「こりゃ入らなくちゃ」と、乱入する。
店内にはなんと、
これまた親しい大漫画家、
ちばてつや先生の直筆イラストが飾られている。
昔から兄弟子の知り合いのNさんが開いた店なのだ。
「右之さん、誰に聞いて来たの?」と、驚くご主人。
「誰にも聞いてない。全くの偶然」
「行き当たりばったり看板を見付けて入ったんだ。
任せるから、なんか旨いものを早く出して」という
私たちの矢の催促に、
「予約してから来てくれよ」と、無理を言う。
店さえ知らなかったんだから、
電話番号なんか知ってる訳がない。
文句を云いながらも、仕事は別だ。
小さいうちは真鯛と区別されずに、
「かすご」と呼ばれ、
夏は真鯛より美味いといわれる、
珍らかな「えびす鯛」をはじめ、
とっておきの酒肴を次々出してくれる。
友達も「美味い」と、満足である。
偶然とはいいながら、
メガダブルの驚きの夜であった。
広島よいとこ
恒例の広島三越出展である。
「やっぱりお江戸TOKYO物語」も5回目。
ご贔屓をいただくお客様も多く、
広島に行くのは毎回楽しみだ。
ここ数年広島に伺って、
県民性の一端が垣間見えたような気がする。
お客様の
「3年前から頼もうと思っていたんです」
「最初の年から気になっていた」
などの声を、何度も聞いた。
なんとも慎重というか、堅実というか、
一週間程度の催しでも、
二度三度と覗き、
注文までじっくり考えてるのだと思っていたが、
3年越し、4年越しとは
正直ビックリである。
この間のベルリンの人々以上だ。
また、「○○さんに紹介された」と、
すでに注文をしてくださった
お客様からの紹介も実に多い。
お蔭さまで、
「何年越し」また「ご紹介」でも、
たくさんのご注文をいただいた。
ありがたい限りである。
広島に行くと、
三越の近くにある日本料理屋
「たこつぼ」というお店に必ず伺う。
穴子、うなぎのひつむしが看板料理で、
お造り、煮物など、なにを注文しても、実においしい。
ご主人が、「よろしかったら召し上がって」と、
小鯛を三枚におろした
中骨部分の塩焼き(メニューには当然無い)を、
出してくださった。
これまた美味である。
「浮世のアラで飯を食い」ならぬ、
「魚のアラで酒を飲み」で、ほろ酔いとなる。
ご主人や女将さん、若旦那ご夫婦が、
年に一度の客である私を、
あたたかく迎えてくださる。
広島に行くなら「たこつぼ」である。
また、若旦那も近くに別店を開くとのこと。
楽しみが増えそうだ。
「やっぱりお江戸TOKYO物語」も5回目。
ご贔屓をいただくお客様も多く、
広島に行くのは毎回楽しみだ。
ここ数年広島に伺って、
県民性の一端が垣間見えたような気がする。
お客様の
「3年前から頼もうと思っていたんです」
「最初の年から気になっていた」
などの声を、何度も聞いた。
なんとも慎重というか、堅実というか、
一週間程度の催しでも、
二度三度と覗き、
注文までじっくり考えてるのだと思っていたが、
3年越し、4年越しとは
正直ビックリである。
この間のベルリンの人々以上だ。
また、「○○さんに紹介された」と、
すでに注文をしてくださった
お客様からの紹介も実に多い。
お蔭さまで、
「何年越し」また「ご紹介」でも、
たくさんのご注文をいただいた。
ありがたい限りである。
広島に行くと、
三越の近くにある日本料理屋
「たこつぼ」というお店に必ず伺う。
穴子、うなぎのひつむしが看板料理で、
お造り、煮物など、なにを注文しても、実においしい。
ご主人が、「よろしかったら召し上がって」と、
小鯛を三枚におろした
中骨部分の塩焼き(メニューには当然無い)を、
出してくださった。
これまた美味である。
「浮世のアラで飯を食い」ならぬ、
「魚のアラで酒を飲み」で、ほろ酔いとなる。
ご主人や女将さん、若旦那ご夫婦が、
年に一度の客である私を、
あたたかく迎えてくださる。
広島に行くなら「たこつぼ」である。
また、若旦那も近くに別店を開くとのこと。
楽しみが増えそうだ。
徒党を組む
中目黒にある燕子花で、
山口智子さんプロデュースの
暦作成委員会を終えてから、
隣にある犬連れOKの喫茶店で、なおも話し込む。
さらに浅草に戻り、公開鼎談の二人、
文扇堂・荒井修さん、いとうせいこうさんと酒を飲む。
そこで、飲みながら話をしている最中、
いとうさんが持っている「ホスーK」(歩数計)に興味を持った。
カバーをスワロフスキーでデコレーションしてある見事なもの。
ただの万歩計ではない。
いとうさん:「TANITA FB-721です。歩くことで2酸化炭素を減らします」
私はこれに興味を持って
右之吉:「これに漆を塗って、文字を凝って首抜きで入れようかな。それ絶対ほしいな」
いとうさん:「それはおもしろい。一緒にエコを考えましょうよ。右之さんはマイつなぎ箸をやっているじゃないですか。修さんの作る扇子もエコロジーでしょ。」
しばし考えていて
修さん:「江コ連てのはどう?」
そこらにあった紙に代紋を書き始めた。
江戸の「江」がカタカナの「コ」の中に入った抱字風の見立てだ。
修さん:「俺たちでエコ連ってのを作らないか?」
いとうさん/右之吉:「おもしろいや」「いいね江コ連」
考えてみれば、言われる通り「消し札」も「マイ箸」も、根は同じだ。
瓢箪から駒とはこんなことをいうのだろう。
浅草で「江コ連」の発足である。
右之吉:「今夜いっせいにブログで発表しよう」
いとうせいこうさん、荒井修さん、
そして私はエコロジーでも「徒党を組む」ことになった。
いとうせいこうさんのHP
荒井修さんのHP
山口智子さんプロデュースの
暦作成委員会を終えてから、
隣にある犬連れOKの喫茶店で、なおも話し込む。
さらに浅草に戻り、公開鼎談の二人、
文扇堂・荒井修さん、いとうせいこうさんと酒を飲む。
そこで、飲みながら話をしている最中、
いとうさんが持っている「ホスーK」(歩数計)に興味を持った。
カバーをスワロフスキーでデコレーションしてある見事なもの。
ただの万歩計ではない。
いとうさん:「TANITA FB-721です。歩くことで2酸化炭素を減らします」
私はこれに興味を持って
右之吉:「これに漆を塗って、文字を凝って首抜きで入れようかな。それ絶対ほしいな」
いとうさん:「それはおもしろい。一緒にエコを考えましょうよ。右之さんはマイつなぎ箸をやっているじゃないですか。修さんの作る扇子もエコロジーでしょ。」
しばし考えていて
修さん:「江コ連てのはどう?」
そこらにあった紙に代紋を書き始めた。
江戸の「江」がカタカナの「コ」の中に入った抱字風の見立てだ。
修さん:「俺たちでエコ連ってのを作らないか?」
いとうさん/右之吉:「おもしろいや」「いいね江コ連」
考えてみれば、言われる通り「消し札」も「マイ箸」も、根は同じだ。
瓢箪から駒とはこんなことをいうのだろう。
浅草で「江コ連」の発足である。
右之吉:「今夜いっせいにブログで発表しよう」
いとうせいこうさん、荒井修さん、
そして私はエコロジーでも「徒党を組む」ことになった。
いとうせいこうさんのHP
荒井修さんのHP
初夏を彩る東をどり
新橋花柳界の初夏の吉例行事
「東をどり」が新橋演舞場で四日間に亘り開催された。
新橋芸者衆のみならず、
お出先の料亭さんなど三業地挙げての催しである。
三業とはその昔、芸者衆の置屋、
座敷を提供する待合(料亭)、
料理を供する店(割烹)をいったが、
現代は料亭が待合と料理屋を兼ねる店も多くなった。
新橋は日本を代表する名店が盛業中で、
「東をどり」に懸ける熱意も、
並々ならないものがあり、
会期中には特別献立の弁当を用意したり、
ドンペリとともに楽しむ口取りを考えるなど、
実はこれも東をどりならではの楽しみである。
さすが150年を越える新橋花柳界、
川端康成の生原稿が新橋見番で見つかったり、
数十年ぶりに19才の「お酌さん」も誕生したりで話題も多い。
私と新橋とはご縁は長く、
お料理屋さんとは
「東京芽生会」の催事のプロデューサーとしてのお付き合い。
芸者衆はすべて千社札シールの注文主で
文字プロのお客様である。
浅草寺本堂正面に
新橋花柳界から奉納した「志ん橋」の大提灯も、
元字は私が書かせていただいた。
さまざまな製作物を納め、
会期中はスタッフとしてお手伝いしている。
東をどりには、
浅草、赤坂、神楽坂、向島、京都など、
他所土地の芸者衆も沢山いらっしゃっている。
物販のお手伝いをしていると、
お馴染みやご無沙汰に
「おにいさ〜ん」「あら、右之さん、お見限り」
「ちょうどよかった、電話しようとしていたとこ」などと
声をかけられる。
初夏の東をどりの四日間は「冷や汗」もかく。
「東をどり」が新橋演舞場で四日間に亘り開催された。
新橋芸者衆のみならず、
お出先の料亭さんなど三業地挙げての催しである。
三業とはその昔、芸者衆の置屋、
座敷を提供する待合(料亭)、
料理を供する店(割烹)をいったが、
現代は料亭が待合と料理屋を兼ねる店も多くなった。
新橋は日本を代表する名店が盛業中で、
「東をどり」に懸ける熱意も、
並々ならないものがあり、
会期中には特別献立の弁当を用意したり、
ドンペリとともに楽しむ口取りを考えるなど、
実はこれも東をどりならではの楽しみである。
さすが150年を越える新橋花柳界、
川端康成の生原稿が新橋見番で見つかったり、
数十年ぶりに19才の「お酌さん」も誕生したりで話題も多い。
私と新橋とはご縁は長く、
お料理屋さんとは
「東京芽生会」の催事のプロデューサーとしてのお付き合い。
芸者衆はすべて千社札シールの注文主で
文字プロのお客様である。
浅草寺本堂正面に
新橋花柳界から奉納した「志ん橋」の大提灯も、
元字は私が書かせていただいた。
さまざまな製作物を納め、
会期中はスタッフとしてお手伝いしている。
東をどりには、
浅草、赤坂、神楽坂、向島、京都など、
他所土地の芸者衆も沢山いらっしゃっている。
物販のお手伝いをしていると、
お馴染みやご無沙汰に
「おにいさ〜ん」「あら、右之さん、お見限り」
「ちょうどよかった、電話しようとしていたとこ」などと
声をかけられる。
初夏の東をどりの四日間は「冷や汗」もかく。
伯林から維納、そして日本へ
ウィーンはビエンナにて候。
ウィーンへは親子で飛行機の便が違うため別々に到着。
空港で長男に待っていてもらい、
電車に乗り市内へ向かう。
『世界の車窓から』という番組があるが、
あれで見たような景色が広がる。
いい風景を眺めていると、
進行方向右側の車窓に
広大な外人墓地が現れる。
ここでは外人じゃなくただの墓地だが、
横浜なんかにある
外人墓地のスケールアップしたものだ。
目的の墓を探すのは大変だろうなんて思っていると
降りる駅に到着。
ホテルにチェックイン。
休む間もなくタクシーで中心地に向かい、
名前を忘れたが音楽家の名前の店のテラスで食事。
ウィーンは歴史的できれいな街だが、
石畳がすごく歩きにくい。普段の倍くたびれる。
翌日は美術館を巡り、
オーストリア在日本大使館を表敬訪問。
夜は息子の友達や仕事仲間、
十数名と食事をする。
私は言葉が通じなくても、
集まってくださった皆さんの、
やさしさ、あたたかさを十分に感じることが出来た。
ビールを浴びるほど飲んで
酔っ払いながらホテルへ。
そのまま就寝。
翌日、空港で息子と別れ
一人でウィーンから日本へ帰国。
数日後には「東をどり」だ。
ウィーンへは親子で飛行機の便が違うため別々に到着。
空港で長男に待っていてもらい、
電車に乗り市内へ向かう。
『世界の車窓から』という番組があるが、
あれで見たような景色が広がる。
いい風景を眺めていると、
進行方向右側の車窓に
広大な外人墓地が現れる。
ここでは外人じゃなくただの墓地だが、
横浜なんかにある
外人墓地のスケールアップしたものだ。
目的の墓を探すのは大変だろうなんて思っていると
降りる駅に到着。
ホテルにチェックイン。
休む間もなくタクシーで中心地に向かい、
名前を忘れたが音楽家の名前の店のテラスで食事。
ウィーンは歴史的できれいな街だが、
石畳がすごく歩きにくい。普段の倍くたびれる。
翌日は美術館を巡り、
オーストリア在日本大使館を表敬訪問。
夜は息子の友達や仕事仲間、
十数名と食事をする。
私は言葉が通じなくても、
集まってくださった皆さんの、
やさしさ、あたたかさを十分に感じることが出来た。
ビールを浴びるほど飲んで
酔っ払いながらホテルへ。
そのまま就寝。
翌日、空港で息子と別れ
一人でウィーンから日本へ帰国。
数日後には「東をどり」だ。
ベルリン(6)
五軒長屋の片付けを途中にして、
終演後の打ち上げを覗く。
シャンパンで勘三郎さんと乾杯。
色々と心配して下さっていた模様。
橋之助さん、弥十郎さん、亀蔵さん、
笹野高史さん、田中伝左衛門さんらと乾杯して片付けに戻る。
今夜がベルリン最後の日。
明日、中村座の皆さんは
ルーマニア・シビウへ向かい、
私と息子はオーストリア・ウィーンへ。
五軒長屋のほかの面々はフランス・パリへと向かう。
ドイツとお別れだ。
終演後の打ち上げを覗く。
シャンパンで勘三郎さんと乾杯。
色々と心配して下さっていた模様。
橋之助さん、弥十郎さん、亀蔵さん、
笹野高史さん、田中伝左衛門さんらと乾杯して片付けに戻る。
今夜がベルリン最後の日。
明日、中村座の皆さんは
ルーマニア・シビウへ向かい、
私と息子はオーストリア・ウィーンへ。
五軒長屋のほかの面々はフランス・パリへと向かう。
ドイツとお別れだ。
ベルリン(日本人学校)
五軒長屋の皆さんに、
ベルリンの日本人学校を
訪問してほしいとのお話があり、
開場までの空き時間を利用して、お邪魔することにした。
迎えの車に乗り、
アウトバーンを飛ばすこと小一時間で
「ベルリン国際日本人学校」へ到着する。
子供たち、そのご家族、先生方を前に
お話や文字を書かせていただいたが、
とても良い観客だった。
当日の様子は、
ベルリン生活情報サイトに詳しく載っているので
http://www.berlinnet789.de
の、5月中旬あたりを覗いていただきたい。
午前中は中村勘太郎くんの講演、
午後に私たちという長丁場にもかかわらず、
年少の子供たちも熱心に話を聞いてくれた。
意味ある教育をしていることが、実感できた。
ここの子供たちは、とっても素直で素晴らしい。
ベルリン国際日本人学校のことは、
日本に帰っても未だ忘れられない。
ベルリンの日本人学校を
訪問してほしいとのお話があり、
開場までの空き時間を利用して、お邪魔することにした。
迎えの車に乗り、
アウトバーンを飛ばすこと小一時間で
「ベルリン国際日本人学校」へ到着する。
子供たち、そのご家族、先生方を前に
お話や文字を書かせていただいたが、
とても良い観客だった。
当日の様子は、
ベルリン生活情報サイトに詳しく載っているので
http://www.berlinnet789.de
の、5月中旬あたりを覗いていただきたい。
午前中は中村勘太郎くんの講演、
午後に私たちという長丁場にもかかわらず、
年少の子供たちも熱心に話を聞いてくれた。
意味ある教育をしていることが、実感できた。
ここの子供たちは、とっても素直で素晴らしい。
ベルリン国際日本人学校のことは、
日本に帰っても未だ忘れられない。
ベルリン(5)
芝居は熱気に溢れていて
連日大盛況、大好評であった。
ただ、外にある五軒長屋は寒かった。
ベルリンも異常気象とでもいうのか、
昼のうちはともかく、
夕方から気温がグッと下がり、
初夏とは思えない寒さに震えあがる。
作務衣を重ね着して、半纏も2枚重ね、
首に手拭を巻いて、あるもの全部を着込む。
どうみても野暮の拵えである。
吹き抜ける風も冷たい。
寒いから格好なんぞ構っていられないのが本音である。
雪の日に素足で歩く「直侍」には間違ってもなれない。
五軒長屋のパフォーマンスも
寒さのせいで、筆を持つ手がかじかんだ。
それでもドイツ人の買い物は
実に堅実で、一通り見て帰りまた来る。
またじっくり見て決めるのかなと思うと、
また帰り、また来て決める。
沈思黙考タイプのお客さまが印象に残った。
満員で入れなかったので
五軒長屋を覗くお客さま、
日を改めて五軒長屋に来たお客さまも多い。
興味を持ってもらえただけでも
うれしい限りである。
連日大盛況、大好評であった。
ただ、外にある五軒長屋は寒かった。
ベルリンも異常気象とでもいうのか、
昼のうちはともかく、
夕方から気温がグッと下がり、
初夏とは思えない寒さに震えあがる。
作務衣を重ね着して、半纏も2枚重ね、
首に手拭を巻いて、あるもの全部を着込む。
どうみても野暮の拵えである。
吹き抜ける風も冷たい。
寒いから格好なんぞ構っていられないのが本音である。
雪の日に素足で歩く「直侍」には間違ってもなれない。
五軒長屋のパフォーマンスも
寒さのせいで、筆を持つ手がかじかんだ。
それでもドイツ人の買い物は
実に堅実で、一通り見て帰りまた来る。
またじっくり見て決めるのかなと思うと、
また帰り、また来て決める。
沈思黙考タイプのお客さまが印象に残った。
満員で入れなかったので
五軒長屋を覗くお客さま、
日を改めて五軒長屋に来たお客さまも多い。
興味を持ってもらえただけでも
うれしい限りである。
ベルリン(4)
平成中村座ベルリン公演は、
平日は夜7時30分からなので、
昼間は時間がたっぷりある。
そこで、博物館を一日一館で見てみようと決め、
旧博物館、ボーデミュージアム、
ペルガモン博物館などを連日見学した。
日本語のオーディオガイドのある博物館もあり、これには助かった。
ある日、ベルリン大聖堂に行くと、
その前で自転車を降りた中村勘太郎さんと遭遇。
丸刈りにジャージ姿で、
ドイツの青年と見間違う出で立ちの勘太郎さんである。
「右之さんも大聖堂? 扇雀さんと亀蔵さんも来てますよ。」
「一緒に入りましょう」と、中に入る。
二人は地下にいるとのことで、下へ行く。
地下は手のこんだ装飾が施された「棺」がたくさん置かれている。
歴代皇帝などの棺らしい。
豪華絢爛な霊安室である。
ここを抜けたところに扇雀さん、亀蔵さんが居た。
変なところで待ち合わせをする連中だ。
「右之さん、雪駄でベルリンを歩いているんだ」と
勘太郎さんに言われたが、
街歩きは普段の履きなれた物が一番疲れない。
しかし、バスに乗っていたときも
結構足元に、周囲の視線を感じていた・・・
平日は夜7時30分からなので、
昼間は時間がたっぷりある。
そこで、博物館を一日一館で見てみようと決め、
旧博物館、ボーデミュージアム、
ペルガモン博物館などを連日見学した。
日本語のオーディオガイドのある博物館もあり、これには助かった。
ある日、ベルリン大聖堂に行くと、
その前で自転車を降りた中村勘太郎さんと遭遇。
丸刈りにジャージ姿で、
ドイツの青年と見間違う出で立ちの勘太郎さんである。
「右之さんも大聖堂? 扇雀さんと亀蔵さんも来てますよ。」
「一緒に入りましょう」と、中に入る。
二人は地下にいるとのことで、下へ行く。
地下は手のこんだ装飾が施された「棺」がたくさん置かれている。
歴代皇帝などの棺らしい。
豪華絢爛な霊安室である。
ここを抜けたところに扇雀さん、亀蔵さんが居た。
変なところで待ち合わせをする連中だ。
「右之さん、雪駄でベルリンを歩いているんだ」と
勘太郎さんに言われたが、
街歩きは普段の履きなれた物が一番疲れない。
しかし、バスに乗っていたときも
結構足元に、周囲の視線を感じていた・・・
ベルリン(一番太鼓)
平成中村座ベルリン公演開始に伴い
世界文化の家のエントランスで、
中村勘太郎さんと田中伝左衛門さんによる
「一番太鼓」が披露される。
直前に一番太鼓のドイツ語での紹介を長男が頼まれた。
勘太郎さんとうちの長男は同い年、
親父としては感慨深いものがある反面、
あがらないか、大丈夫かと、
少しばかり不安になったが…
結果杞憂で、大勢の人の前で、
臆することなく無く堂々と話していて一安心。
しかしよく考えれば、
文化交流、通訳で飯を食っているのだから
余計な心配だ。
一番太鼓が終わり長男に
写真を撮っておいてくれたかと尋ねられたが、
「忘れた」と、小さい声で答えた私。。。
そんなわけで
いよいよ、平成中村座ドイツ・ベルリン公演がはじまる。
世界文化の家のエントランスで、
中村勘太郎さんと田中伝左衛門さんによる
「一番太鼓」が披露される。
直前に一番太鼓のドイツ語での紹介を長男が頼まれた。
勘太郎さんとうちの長男は同い年、
親父としては感慨深いものがある反面、
あがらないか、大丈夫かと、
少しばかり不安になったが…
結果杞憂で、大勢の人の前で、
臆することなく無く堂々と話していて一安心。
しかしよく考えれば、
文化交流、通訳で飯を食っているのだから
余計な心配だ。
一番太鼓が終わり長男に
写真を撮っておいてくれたかと尋ねられたが、
「忘れた」と、小さい声で答えた私。。。
そんなわけで
いよいよ、平成中村座ドイツ・ベルリン公演がはじまる。
ベルリン(3)
五軒長屋の設営作業をしながら、
合間を見つけると舞台稽古を覗いて見たり、
建物裏側にあるテラスに行って、
川を行き交う観光船を眺めながらコーヒーを楽しむ。
船の乗客はリタイヤしたような老夫妻が多い。
ベルリン観光に来ているのだろうか。
のどかそのもの。
きれいな景色のなか、
考えられないくらいのんびりした時間が流れている。
テラスでコーヒーを飲んでいると、
演出の串田和美さんから、
松本商工会議所の方を紹介され
「松本の平成中村座公演でも五軒長屋が出られないか」と
相談を受けたので日本に帰り
荒井さんらと相談して正式な返事をすることとする。
支度をあらかた済ませ、
足りない資材を五軒長屋の面々と買いに行くことに。
あちこち歩き回って買い出しをするが、
思ったものが手に入らず四苦八苦。
ベルリンではホームセンターを探すのも一苦労だ。
木彫の横谷さんの荷物が、
なぜか税関で止められている。
藤村さんは荷物が届いていないものがある。
不安を抱えているが、皆テンションは結構高い。
夕刻にウィーンで通訳の仕事を終えた長男が
ホテルに到着。
これで、言葉には困らないと安心する。
合間を見つけると舞台稽古を覗いて見たり、
建物裏側にあるテラスに行って、
川を行き交う観光船を眺めながらコーヒーを楽しむ。
船の乗客はリタイヤしたような老夫妻が多い。
ベルリン観光に来ているのだろうか。
のどかそのもの。
きれいな景色のなか、
考えられないくらいのんびりした時間が流れている。
テラスでコーヒーを飲んでいると、
演出の串田和美さんから、
松本商工会議所の方を紹介され
「松本の平成中村座公演でも五軒長屋が出られないか」と
相談を受けたので日本に帰り
荒井さんらと相談して正式な返事をすることとする。
支度をあらかた済ませ、
足りない資材を五軒長屋の面々と買いに行くことに。
あちこち歩き回って買い出しをするが、
思ったものが手に入らず四苦八苦。
ベルリンではホームセンターを探すのも一苦労だ。
木彫の横谷さんの荷物が、
なぜか税関で止められている。
藤村さんは荷物が届いていないものがある。
不安を抱えているが、皆テンションは結構高い。
夕刻にウィーンで通訳の仕事を終えた長男が
ホテルに到着。
これで、言葉には困らないと安心する。
ベルリン(2)
勘三郎さんの事務所スタッフと会場である
「HAUS DER KULTUREN DER WELT 世界文化の家」に向かい、
カルネで送った荷物の確認を済ませ、
明日の設営準備を終えて、楽屋で勘三郎さんを待つ。
楽屋裏の芝生の上では、
お弟子さんたちが刀を放り投げて受け取る稽古をしている。
勘太郎くんが「グーテンモルゲン」といって入って来た。
七之助くん、橋之助さん、弥十郎さん、
笹野高史さんなど次々楽屋入り。
アンペルマンのロゴの入ったジャージを着ている。
アンペルマンはベルリンの歩行者用信号のサインで、
いろいろなグッズが売り出されている。
楽屋のマイブームといったところである。
笹野高史さんが
「今日は初めてベルリンの泥水に入って具合を見てみるんです」と言っていた。
長屋裏の殺しの場だ。
後で聞いたら、ベルリンの水は結構冷たいらしい。
勘三郎さんも楽屋入り。
私を見つけるなり
「うわー、お疲れさま。ベルリンまでありがとう。」と固い握手。
演出の串田和美さん、実行委員会の塚田会長、
ファーンウッドの田中社長にも到着のご挨拶を済ます。
役者の皆さんが衣裳を着け始めたので、
早々に楽屋を出ると、
勘三郎さんの奥様に「右之さん、ご飯食べたの?」と聞かれた。
考えてみると昨夜から何も食べてない。
「納豆でご飯食べる?」
否やは無い。
「勿論、いただきます」
早速、持参の携帯用マイ箸を取り出し、
皿に乗ったホカホカの銀シャリに、
かきまぜた納豆を乗せて一気に食べる。
その旨さ、筆舌に尽くし難い。
3日ぶりの白いご飯であった。
夜には五軒長屋のメンバーである
市松人形の藤村さん、
木彫の横谷さん、
仏画の殿村さん、
陶芸の木下さんがベルリンに入る。
「HAUS DER KULTUREN DER WELT 世界文化の家」に向かい、
カルネで送った荷物の確認を済ませ、
明日の設営準備を終えて、楽屋で勘三郎さんを待つ。
楽屋裏の芝生の上では、
お弟子さんたちが刀を放り投げて受け取る稽古をしている。
勘太郎くんが「グーテンモルゲン」といって入って来た。
七之助くん、橋之助さん、弥十郎さん、
笹野高史さんなど次々楽屋入り。
アンペルマンのロゴの入ったジャージを着ている。
アンペルマンはベルリンの歩行者用信号のサインで、
いろいろなグッズが売り出されている。
楽屋のマイブームといったところである。
笹野高史さんが
「今日は初めてベルリンの泥水に入って具合を見てみるんです」と言っていた。
長屋裏の殺しの場だ。
後で聞いたら、ベルリンの水は結構冷たいらしい。
勘三郎さんも楽屋入り。
私を見つけるなり
「うわー、お疲れさま。ベルリンまでありがとう。」と固い握手。
演出の串田和美さん、実行委員会の塚田会長、
ファーンウッドの田中社長にも到着のご挨拶を済ます。
役者の皆さんが衣裳を着け始めたので、
早々に楽屋を出ると、
勘三郎さんの奥様に「右之さん、ご飯食べたの?」と聞かれた。
考えてみると昨夜から何も食べてない。
「納豆でご飯食べる?」
否やは無い。
「勿論、いただきます」
早速、持参の携帯用マイ箸を取り出し、
皿に乗ったホカホカの銀シャリに、
かきまぜた納豆を乗せて一気に食べる。
その旨さ、筆舌に尽くし難い。
3日ぶりの白いご飯であった。
夜には五軒長屋のメンバーである
市松人形の藤村さん、
木彫の横谷さん、
仏画の殿村さん、
陶芸の木下さんがベルリンに入る。
ベルリン(1)
無事、ホテルについてチェックインを済ます。
フロントで、なにやら説明を受けたが、
分かったのは部屋番号と、朝はビュッフェスタイルの食事が付いていて、
外で鳴いている犬はフロントの飼い犬ということだけ。
あてがわれた部屋はきれいだが、
電話、ファックス、冷蔵庫も無いシャワーのみのツインルーム。
病室みたいだ。
明日の晩には長男がベルリンに入ってくれるが、
それまでは、ひとりでなんとかしなければならない。
災難は忘れた頃にというが
持って来た携帯電話が使えない。
グローバル機能付きのはずが、
地域をドイツで設定してもアクセスしてくれない。
圏外表示が出て全く役に立たない。
これじゃ島流しと同じことだ。
連絡のとりようもなく、あきらめて外に出て、
周辺のテレビ塔、マリエン教会、赤の市庁舎、
ニコライ教会あたりをぶらつく。
目的無く歩き回るのは、ホームレスのようで無駄にくたびれる。
どこかで飯を喰おうと思うのだが、
不案内のうえメニューが読めない。
一日や二日なにも食べなくても皮下脂肪が多いから大丈夫と、
出掛ける前に言われていたが、冗談じゃない。
結局ニコライ教会の側の店でのケバブとビールを、
アレキサンダープラッツ駅の車椅子の売り子から
ホットドックを買って、ドイツ初日の夕食とした。
ホテルに戻ると、表で勘三郎さんの事務所のスタッフが、
稽古が終わって帰って来たところに遭遇したので、
明日の会場への同行をお願いして、一安心。
これでゆっくり寝られる。
フロントで、なにやら説明を受けたが、
分かったのは部屋番号と、朝はビュッフェスタイルの食事が付いていて、
外で鳴いている犬はフロントの飼い犬ということだけ。
あてがわれた部屋はきれいだが、
電話、ファックス、冷蔵庫も無いシャワーのみのツインルーム。
病室みたいだ。
明日の晩には長男がベルリンに入ってくれるが、
それまでは、ひとりでなんとかしなければならない。
災難は忘れた頃にというが
持って来た携帯電話が使えない。
グローバル機能付きのはずが、
地域をドイツで設定してもアクセスしてくれない。
圏外表示が出て全く役に立たない。
これじゃ島流しと同じことだ。
連絡のとりようもなく、あきらめて外に出て、
周辺のテレビ塔、マリエン教会、赤の市庁舎、
ニコライ教会あたりをぶらつく。
目的無く歩き回るのは、ホームレスのようで無駄にくたびれる。
どこかで飯を喰おうと思うのだが、
不案内のうえメニューが読めない。
一日や二日なにも食べなくても皮下脂肪が多いから大丈夫と、
出掛ける前に言われていたが、冗談じゃない。
結局ニコライ教会の側の店でのケバブとビールを、
アレキサンダープラッツ駅の車椅子の売り子から
ホットドックを買って、ドイツ初日の夕食とした。
ホテルに戻ると、表で勘三郎さんの事務所のスタッフが、
稽古が終わって帰って来たところに遭遇したので、
明日の会場への同行をお願いして、一安心。
これでゆっくり寝られる。
6月16日まで広島にいます。
ベルリン中村座、
新橋東をどりを経て、
現在、広島三越の
「やっぱりお江戸、TOKYO物語」に出店しております。
お近くにお住まいの方は
ぜひ足を運んでみてください。
新橋東をどりを経て、
現在、広島三越の
「やっぱりお江戸、TOKYO物語」に出店しております。
お近くにお住まいの方は
ぜひ足を運んでみてください。
ベルリン最初の言葉
<5月11日(2)>
「イッヒ メヒテ ダス トリンケン」
(これが飲みたい)
ベルリンの空港で初めて出た、記念すべき一言がこれ。
まず乾いたノドをビアーで潤し、空港を出てからどうするか考える。
一人だから「怪我と弁当は手前持ち」と割り切り、
空港のインフォメーションカウンターで、
ホテルの近くへ行くバス乗り場を聞いてみる。
カウンターの若い女性に
「イッヒ メヒテ アレキサンダープラッツ ファーレン」
(アレキサンダープラッツに行きたい)
と、一夜漬けのドイツ語で話しかけると
彼女は怪訝な顔で私をじっと見て、
ゆっくりした話し方で「○△×●▼?」と言ったようだが、
さっぱり分からない。
そこで、かねて教わった
「カイネ アーヌング」
(分りません)
「 イッヒ ビン ヤパーナー」
(私は日本人です)
と、言ってホテルのアドレスを見せたら、
仕様がねえ親父に、それは親切丁寧に、
やさしい英単語を選んで教えてくれた。
「ダンケ シェーン」
(ありがとう)
が素直に言えた。何度も言った。
「お嬢さん、助かったよ」も、
ドイツ語ならどんなふうに言うのか、聞いておけばよかった。
「イッヒ メヒテ ダス トリンケン」
(これが飲みたい)
ベルリンの空港で初めて出た、記念すべき一言がこれ。
まず乾いたノドをビアーで潤し、空港を出てからどうするか考える。
一人だから「怪我と弁当は手前持ち」と割り切り、
空港のインフォメーションカウンターで、
ホテルの近くへ行くバス乗り場を聞いてみる。
カウンターの若い女性に
「イッヒ メヒテ アレキサンダープラッツ ファーレン」
(アレキサンダープラッツに行きたい)
と、一夜漬けのドイツ語で話しかけると
彼女は怪訝な顔で私をじっと見て、
ゆっくりした話し方で「○△×●▼?」と言ったようだが、
さっぱり分からない。
そこで、かねて教わった
「カイネ アーヌング」
(分りません)
「 イッヒ ビン ヤパーナー」
(私は日本人です)
と、言ってホテルのアドレスを見せたら、
仕様がねえ親父に、それは親切丁寧に、
やさしい英単語を選んで教えてくれた。
「ダンケ シェーン」
(ありがとう)
が素直に言えた。何度も言った。
「お嬢さん、助かったよ」も、
ドイツ語ならどんなふうに言うのか、聞いておけばよかった。
いきあたりバッタとともに
<5月11日>
結局寝ないで支度をし、
重量オーバーの大荷物を抱え駆け込むように旅の空。
ウイスキーを飲んで寝ちゃおうと考えている間に、
睡魔に襲われ爆睡に入る。
墜落しても全く気がつかないだろう。
目が覚めたら周囲は食事を終えていた。
どのみち知らない外人ばかり、
生涯会うこともあるまいし、
遠慮することは無いと、
CAに摂れなかった機内食をお願いする。
ついでに喉も乾いたのでビールを注文する。
腹の皮がつっぱれば、目の皮たるむで、
またまた爆睡。喰っちゃ寝、喰っちゃ寝は、
稽古の無い相撲の新弟子のようなもので、体には良くない。
時々機内を歩き回って、不良が居ないかパトロール。
そしてビール、また眠る。
トランジットのウィーン国際空港に着いたときには、
時間の感覚がめちゃめちゃになっていた。
日本人がひとりやふたりはベルリンに行くだろうと、
多寡をくくり、その人について行こうと思っていたら、
私一人だけで、いかんともし難く、
「これは天が私に与えた試練だ」と居直り、
ありったけの単語を並べて
自分の向かうゲートを尋ねる。
「ライト、ライト」というので、
右に右に向かったら空港の外に出てしまって、
タクシーが停まっている。
「こりゃ間違えた」と、また戻り、
目当てのゲートに、ようやくたどり着く。
飛行機に乗り込み、
ほっとしたとたんにまた眠気が出てバッタと就寝。
ベルリンの空港に着陸してから目が覚めた。
結局寝ないで支度をし、
重量オーバーの大荷物を抱え駆け込むように旅の空。
ウイスキーを飲んで寝ちゃおうと考えている間に、
睡魔に襲われ爆睡に入る。
墜落しても全く気がつかないだろう。
目が覚めたら周囲は食事を終えていた。
どのみち知らない外人ばかり、
生涯会うこともあるまいし、
遠慮することは無いと、
CAに摂れなかった機内食をお願いする。
ついでに喉も乾いたのでビールを注文する。
腹の皮がつっぱれば、目の皮たるむで、
またまた爆睡。喰っちゃ寝、喰っちゃ寝は、
稽古の無い相撲の新弟子のようなもので、体には良くない。
時々機内を歩き回って、不良が居ないかパトロール。
そしてビール、また眠る。
トランジットのウィーン国際空港に着いたときには、
時間の感覚がめちゃめちゃになっていた。
日本人がひとりやふたりはベルリンに行くだろうと、
多寡をくくり、その人について行こうと思っていたら、
私一人だけで、いかんともし難く、
「これは天が私に与えた試練だ」と居直り、
ありったけの単語を並べて
自分の向かうゲートを尋ねる。
「ライト、ライト」というので、
右に右に向かったら空港の外に出てしまって、
タクシーが停まっている。
「こりゃ間違えた」と、また戻り、
目当てのゲートに、ようやくたどり着く。
飛行機に乗り込み、
ほっとしたとたんにまた眠気が出てバッタと就寝。
ベルリンの空港に着陸してから目が覚めた。